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聖歌は生歌

聖歌は生歌

年間第27主日

《A年》
 80 神よわたしに目を注ぎ
【解説】
 詩編80は、民の嘆きの祈りです。この祈りの伏線には、紀元前722年に北イスラエルを滅ぼした、アッシリアの侵
攻があります。ここでは、イスラエルをぶどうの木にたとえています。神の導きによってエジプトから脱出した民は、神
によってイスラエルに植えられ、北はレバノンの山まで、西は地中海、東はユーフラテス川にまでその枝を伸ばしま
す。しかし、指導者と民背きのために、アッシリアによって滅ぼされます。この、危機的状況で、神に救いを求めた嘆
きがこの祈りです。
 答唱句は、最初の2小節、中音部→三度の下降→二度の上行を繰り返します。「目を注ぎ」は、前半の最高音が
用いられて、神の救いのまなざしが暗示されます。後半は、G(ソ)→C(ド)という四度の跳躍と付点八分音符+十六
分音符のリズムで「強めて」を強調します。さらに、この部分、「強め」では、和音もソプラノとバスが2オクターヴ+3
度開き、ここに強調点が置かれていることがわかります。「ください」は、倒置の終止を表すために、ドッペルドミナント
(五の五)という、属調での終止を用いています。が、すぐに原調へ戻り、反行を繰り返しながら終止します。
 詩編唱は、グレゴリオ聖歌の伝統を踏襲し、属音G(ソ)を中心にして歌われます。
【祈りの注意】
 答唱句で最初に繰り返される音形は、畳み掛けるように歌いましょう。この部分をメトロノームではかったように歌う
と、祈りの切迫感が表せません。「神よ」と「目をそそぎ」という、四分音符の後の八分音符を、早めの気持ちで歌い
ます。上行の部分も、上り坂でアクセルを踏み込むような感じで歌うと、祈りの流れが途絶えません。冒頭はmf 位で
始め、上行毎に cresc. して、「強めて」で頂点に達し、音の強さも気持ちも ff になります。その後は、徐々に、
dim.しながら rit. しますが、精神は強めたまま終わらせましょう。最後の答唱句では、特にこの rit.を豊かにする
と、いつくしみの目を注いでくださり、強めてくださる神の手が、静かに優しくわたしたちの上に伸べられる様子が表さ
れるでしょう。
 詩編唱は、第一朗読、イザヤの預言の「ぶどう畑の愛の歌」を受けて、歌われます。ちなみに、この中の、イザヤ5
章の4節は、聖金曜日のとがめの交唱の中(後)、『典礼聖歌』では334「ハギオス・ホ・テオス」(ギリシャ語で「聖な
る神よ」)で歌われます。
 福音では、エルサレムでの受難を暗示して、キリストは、神をぶどう園の主人、ご自分をその息子にたとえていま
す。ヨハネ15章1-17節では、キリストはご自身を、ぶどうの木にたとえておられます。このぶどうの木は、全世界
に枝を広げ、いのししやけものにも荒されることはありません。また、このぶどうの木につながる人は、必ず豊かな実
を結ぶのです。
 詩編唱の6節で歌われる「あなたの右腕である人」はキリストを、「強められた民」はキリストを信じる民です。キリス
トは、かつてのぶどう畑とは異なり、「死の国に見捨てられること」(詩編16:10)はありませんでした。詩編を歌うか
たは、キリストの復活にあずかった(洗礼)喜びを思い起こしながら詩編を、特に「あなたから離れることなく、いのちで
あるあなた呼び求める」ように歌ってください。
【オルガン】
 オルガンの前奏が活き活きとしていないと、会衆の答唱句はだらだらしてしまいます。速度表示は四分音符=69
くらいとなっていますが、最終回の答唱句の終わりの部分、と考えてもよいでしょう。歌い始めは、これよりも、かなり
までは行かなくても、早めに始めたいものです。「神よ」と「目をそそぎ」という、四分音符の後の八分音符を、早めの
気持ちで歌うことができるように、前奏のときも同じように弾きましょう。また、「強めて」の付点八分音符+十六文音
符もはっきりとしたいものです。ストップは、答唱句のことばを生かすように、明るめのストップを用いましょう。会衆の
人数によっては、プリンチパル系のストップを加えることも必要かもしれません。答唱句の最後のフェルマータは、て
いねいに、そして、きちんと終えるというような意味でとらえるとよいでしょうか。祈りの終わりが品位あるようにしてゆ
けば、おのずと長さが分かってくると思います。

《B年》
 103 しあわせな人(2)
【解説】
 一連の答唱句はここで歌われる詩編128の1節から取られています。この詩編128は「都に上る歌」すなわち巡
礼の詩編の一つで、家庭のしあわせを歌った、幸福と祝福の詩編です。5節と6節は祝福を与える祈りで、この詩編
が何らかの形で、神殿の礼拝で歌われたことを暗示していると言えるでしょう。また、5節に「シオンから」とあること
から、会衆礼拝で用いられたとの解釈もあります。前の詩編127が、外敵から家を守る子供たちをたたえているのに
対し、この詩編128は、家庭の平和と幸福を祝福し、両者が対になっていることもわかります。このように、家庭生活
におけるしあわせを歌うことから、教会では、よく、結婚式の答唱詩編として用いられています。
 答唱句は八分の六拍子で滑らかに歌われます。2小節目は和音が4の和音から、後半、二の7の和音に変わりま
すが、これによって祈りを次の小節へと続けさせることを意識させています。続く「かみを」では旋律で最高音C(ド)と
四の和音を用い、次の「おそれ」ではバスにその最高音H(シ)が使われ、「神をおそれ」では、旋律が6度下降して
(それによって母音の重複も防がれています)、前半の主題を強調しています。7小節目後半の3つの八分音符の連
続は、最終小節に向かって上行音階進行しており、終止の rit. を効果的に導いています。
 この答唱句は、C-dur(ハ長調)の主和音ではなく、五の和音で終わっています。これによって、祈りを詩編唱につ
なげる役割もありますが、この曲はいわゆる長調ではなく、教会旋法に近い形で書かれていることがわかります。G
(ソ)を終止音とする教会旋法は第8旋法ですが、その音階は、D(レ)からd(レ)なので、この曲には該当しません。
他にも、36~40「神のいつくしみを」、130~135「主をたたえよう」などがこれにあたります。これらから考えると、
この旋法は、教会旋法を基礎に、作曲者が独自の手法とした旋法であり、「高田の教会旋法」と名づけることが出来
るでしょう。
 詩編唱も、答唱句と同様の和音構成・進行ですが、3小節目だけ、冒頭の和音は答唱句で経過的に使われている
2の7の和音となっていて、3小節目の詩編唱を特に意識させるものとしています。
【祈りの注意】
 答唱句で特に注意したいことは、だらだらと歌わないことです。だらだらと歌うとこの答唱句のことばがまったく生か
されなくなってしまいます。そのためにはいくつかの注意があります。

1=八分の六拍子は、八分音符を一拍ではなく、付点四分音符を一拍として数えること。
2=先へ先へと流れるように歌うこと。
3=「しあわせなひと」の「わ」をやや早めに歌い、次の太字の三つのことばの八分音符で加速をつけるようにする
こと。

の三点です。
 また2については、1・3・5・7各小節の前のアウフタクトのアルシスを十分に生かすことも忘れてはならないでしょ
う。このようにすることで、祈りが自然に流れ出てゆき、答唱句のことば「主の道を歩む」「しあわせ」が、豊かに表現
できるのです。
 前半の終わり「おそれ」では、やや、わからない程度に rit.するとよいかもしれません。答唱句の終わりは、歩みが
確固としたものとして、ただし、主の前を静々と歩むように、十分に rit. して、滑らかに終えましょう。
 福音朗読では、妻を離縁することの是非がイエスに問われます。ファリサイ派の人たちの問いは、物事の本質を理
解せず、あるいは理解していても、イエスを陥れようとして、発せられますが、イエスは、神が定められた律法の本質
に基づいて、お答えになっています。その律法の本質が第一朗読、創世記に書かれています。詩編唱は、第一朗読
と福音朗読の橋渡しとしてふさわしいものでしょう。結婚式でも、この、二つの朗読とこの答唱詩編が歌われることが
多いと思います。詩編を先唱されるかたは、よく、結婚式で、この答唱詩編を歌うことがあると思いますし、結婚され
ているかたの中には、この答唱詩編を歌っていただいたというかたも多いと思います。今日は年間の主日ですが、一
人ひとりが今まで参加した、結婚式とそのときの司祭の説教などを思い起こし、この、詩編の先唱の準備に当てては
いかがでしょうか?
 なお、一つ技術的なことですが、詩編唱の2節の1小節目は、最初が「オリーブの」と5拍節しかなく、音が変わると
7拍節あります。このような時は、最初の「オリーブの」をやや遅めに歌いだし、「わか」に入ったらテンポをやや早め
にしますが、「木の」でまたすぐに rit. すると、全体のバランスがよく取れます。
 最後に、いつも書いていることですが、詩編唱の2小節目以外、音が変わる前で、間を置いたり、延ばしたりは絶対
してはいけないことです。1小節が滑らかに歌われ、祈りとして味わいが出るようにしてください。
【オルガン】
 前奏のときに気をつけなければならないことは、祈りの注意で書いた注意点です。まず、前奏のときにこれがきちん
と提示されないと、会衆の祈りは、活気のない、だらだらしたものになってしまいます。前奏の冒頭から、きびきびと、
弾き始めましょう。もう一つ大切なことは、オルガニスト自身が、ここで歌われている「しあわせな人」になっていなけ
れば、よい前奏、よい伴奏はできないのかもしれません。ストップは、フルート系のストップ、8’+4’で、明るい音色
のものを用いるとよいでしょう。最後の答唱句は、うるさくならなければ、弱いプリンチパル系のものを入れてもよいか
もしれません。

《C年》
35 神に向かって
【解説】
 今日の詩編唱で唱えられる詩編95:1-2から、この答唱詩編の答唱句が取られています。この詩編95は、神殿
の神の前に進み出て礼拝を促す(2節)巡礼の形式で始まります。後半は、荒れ野における歴史を回顧し、神に対す
る従順を警告しています。1節の「救いの岩」をパウロは、1コリント10:4で「この岩こそキリストだったのです」と述
べ、この前後の箇所では、イスラエルの先祖が荒れ野で犯した、偶像礼拝について記しています。また、ヘブライ3:
7-11,15でもこの箇所が引用され、キリスト者も不信仰に陥らないように警告しています。
 8節の、「きょう、神の声を聞くなら、・・・・ 神に心を閉じてはならない」という箇所から、この詩編は、『教会の祈り』
で、一日の一番最初に唱える「初めの祈り」の詩編交唱の一つになっています。「きょう」ということばは、ただ「昨日」
「今日」「明日」という、連続した日の一つではなく、このことばによって、今、読まれる、あるいは、読まれた神のこと
ばが、そのときその場に実現することを意味しています⇒《祭儀的今日》。ナザレの会堂でイザヤ書を読まれたイエス
が、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ4:21)と話されたことを思い起こしてくだ
さい。
 答唱句は、冒頭、旋律が「神に向かって」で和音構成音、「喜び歌い」が音階の順次進行で上行して、最高音C
(ド)に至り、神に向かって喜び歌うこころを盛り上げます。また、テノールも「神に向かって」が、和音構成音で、やは
り、最高音C(ド)にまで上がり、中間音でも、ことばを支えています。前半の最後は六の和音で終止して、後半へと
続く緊張感も保たれています。後半は、前半とは反対に旋律は下降し、感謝の歌をささげるわたしたちの謙虚な姿勢
を表しています。「感謝の」では短い間(八分音符ごと)に転調し、特に、「感謝」では、いったん、ドッペルドミナント
(五の五)=fis(ファ♯)から属調のG-Durへと転調して、このことばを強調しています。後半の、バスの反行を含め
た、音階の順次進行と、その後の、G(ソ)のオクターヴの跳躍は、後半の呼びかけを深めています。
 詩編唱は属音G(ソ)から始まり、同じ音で終わります。2小節目に4度の跳躍がある以外、音階進行で歌われます
から、歌いやすさも考慮されています。また、4小節目の最後の和音は、答唱句の和音と同じ主和音で、旋律(ソプラ
ノ)とバスが、いずれも3度下降して、答唱句へと続いています。
【祈りの注意】
 答唱句は、先にも書いたように、前半、最高音のC(ド)に旋律が高まります。こころから「神に向かって喜び歌う」よ
うに、気持ちを盛り上げ、この最高音C(ド)に向かって cresc. してゆきますが、決して乱暴にならないようにしましょ
う。また、ここでいったん6度での終止となりますし、文脈上も句点「、」があるので、少し rit. しましょう。ただし、最後
と比べてやり過ぎないように。後半は、テンポを戻し、「うたを」くらいから、徐々に rit. をはじめ、落ち着いて終わるよ
うにします。答唱句、全体の気持ちとしては、全世界の人々に、このことばを、呼びかけるようにしたいところです。と
は言え、がさつな呼びかけではなく、こころの底から静かに穏やかに、砂漠の風紋が少しづつ動くような呼びかけに
なればすばらしいと思います。
 よく「本当に神がいるなら、何で、こんな理不尽な事が....。」と言われます。今日の第一朗読の「ハバククの預言」に
はその、答えの一端が伺えるように思えます。キリスト者にとって、「もし神がいるなら」ということばはありえません。
なぜなら「神に従う人は信仰によって生きる」からです。今日の詩編こそ、わたしたちにとって、「信仰によって生きる」
力を奮い起こし、また「信仰によって生きる」ようにしてくださる神に賛美と感謝をささげるものに他なりません。
 この詩編95が「初めの祈り」で、よく、祈られるのもこういったことが、あるからでしょうか。一日の初めに「わたした
ちの信仰を増してください」と言う思いを込めて、この詩編が祈られるのです。日々、神に従うことができる恵みを、こ
の詩編を味わいながら、祈ってゆきたいものです。
【オルガン】
 答唱句は基本的なフルート系のストップ8’+4’でよいですが、答唱句の性格上、明るめの音色がよいでしょう。人
数が多い場合は、弱い、プリンチパル系を入れてもよいかもしれません。前奏のときに、最初の「神に向かって」がだ
らだらとしないようにしましょう。オルガンの前奏が活き活きとしていれば、会衆も活き活きとするはずです。後半で
は、「喜び歌い」と「ささげよう」のそれぞれの rit. の違いがきちんとできればいうことはありません。最初、会衆全体
がその通りにできなかったとしても、オルガンが辛抱強く rit. を続けてゆけば、会衆も、だんだんと、祈りが深まるよ
うな rit. ができるようになると思います。オルガン奉仕者が、いつも、この答唱句を生きることが、最も大切な祈りと
なることを忘れないようにしたいものです。



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